行動経済学から実存哲学まで、シーナ・アイエンガー『選択の科学』レビュー

リチャード・セイラーがノーベル経済学賞を受賞したというニュースで、にわかに行動経済学への注目が高まってきた。この分野での受賞は2002年のダニエル・カーネマン以来久々ということなので、学問的にはまだまだ傍流ということだろうか。

スティーブン・レビットのFreakonomicsシリーズは続編が何冊も出ているが、アカデミズムからは相手にされてなさそうな気がする。雑学や読み物としてはおもしろいが、あまり人には自慢できる趣味ではない。

超ヤバい経済学

超ヤバい経済学

  • 作者: スティーヴン・D・レヴィット,スティーヴン・J・ダブナー,望月衛
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2010/09/23
  • メディア: 単行本
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シーナ・アイエンガーの『選択の科学』も同じく行動経済学のジャンルだが、著者が全盲のインド人女性というマイノリティーなこともあってか、類似の本とは一風変わった内容になっている。

選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)

選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)

 

最近やたらと多い「スタンフォード式○○」のような邦訳にならって「コロンビア大学ビジネススクール特別講義」と銘打たれているが、原題はシンプルに”The Art of Choosing”である。これがScienceとかTechniqueでなくArtである理由は、本書を最後まで読むとわかる。

ジャムの実験はなぜすごいのか?

一般的には「ジャムの実験」で有名な研究者だろう。商品の種類を豊富に用意するより、マジカルナンバー7±2くらいに抑える方がよく売れる、という法則で知られている。この成果だけでノーベル賞を取れそうなくらい、産業界へのインパクトは大きい。

もう少し正確に紹介すると、スーパーの食品売り場で24種類のジャムと6種類のジャムを並べた結果、前者を試食した顧客は60%、後者は40%にとどまった。しかしそのうち実際に購入した人は、前者で3%、後者で12%という逆の比率になった。掛け算して購入率を求めると、24種類で1.8%、6種類で12%。選択肢の少ない6種類のコーナーの方が約6.7倍も売れたという実験だ。

「選択肢を最大化する」ということは、自由・平等が正義のアメリカでは間違いなく絶対的な善である。しかし、数々の実験やインタビューにより、豊富な選択肢は必ずしも本人の幸福度や満足感の向上に結びつかない、むしろマイナスに働くこともある、ということがわかってきた。こういう一般常識と反する真理が導かれるところが、行動経済学のおもしろいところだ。

社長が長生きする理由

冒頭の1章で解説されている「選択は生物の本能である」という前提もおもしろい。動物園の動物は満ち足りた暮らしにも関わらず、野生の状態より平均寿命が短い。企業の経営者は責任もストレスも多いはずなのに、低位層の公務員より心臓病で死ぬ確率が低く長生きする。動物園や公務員に欠けている、生活や仕事に関する「自己決定感」が多い方が寿命が延びるという推測だ。

野生動物は捕食されて死ぬ確率が高いのでは?とか、社長はお金持ちだから健康食品や医療に投資できるのは?とか、いろいろな反論を思いつくので真偽は定かでない。しかし、高所得の医師や弁護士も健康リスクが高かったとのことなので、単純に収入と寿命が相関関係にあるわけではなさそうだ。

何度か死にかけて生き延びたラットの方が、水に入れても溺死するまで長くもがく。電気ショックを止める方法を学習したイヌの方が、自分からショックを回避しよう努力する傾向がある。ひどい動物実験が紹介されているが、実際に状況を変えられるかどうかということより、「変えられる可能性があるという認識(後天的な楽観主義)」の有無が重要であるらしい。

むしろ「選択の余地がない」というネガティブな場合をイメージした方がわかりやすいだろう。動物も人間も本能的に選択肢を広げて、制約にともなうストレスを避けようとする傾向がある。これは納得だ。

選択肢の多さはデメリットにもなる

問題は、選択肢を広げる本能が行きすぎて選択の豊富さ自体が価値を持ってしまうと、非合理な行動があらわれるということだ。6章で紹介されているゲームの実験で、最終的に得られる報酬が減っても選択肢を残しておこうとする人間の性向が描かれている。株取引は「自己決定感」をもたらすが、回数を重ねるほど売買手数料の分、確実に損失が出るという感じだろうか。

個人のギャンブルのレベルではどうでもいい話でも、国家的な制度設計の話になると重みが違ってくる。エーリッヒ・フロムの「~からの自由」と「~する自由」の2つの概念が引用されて、自由放任主義と社会計画的な経済政策の是非が問われる。旧共産圏の東ドイツ市民はベルリンの壁崩壊以降、買物や食事の自由を得たが、必ずしも幸福にはならなかったという事例が挙げられている。

このあたりはフロムが「自由」という概念の否定的側面に注目したように、「選択」の負の側面を強調しているように思う。

自己決定感の多寡は文化による

資本主義か共産主義か、個人主義か集団主義か、人が育った文化的なスクリプトによって、必ずしも制約は自己決定感の減少につながらないというのが著者の持論だ。

インドでは結婚相手が本人の意思でなく、親族間の協議で決められるという。日本人もどちらかというと集団主義に近い民族だが、米国の研究者からはそもそもこういう研究が生まれてこなかったかもしれない。

各国の個人主義の度合いはGDPと相関関係にあるが、GDPが幸福度と相関しないのはよく知られている。国家的には「選択肢の最も公正な分配」が目標になるが、採用した政策によって幸福度の計測尺度が変わってくるのが、難しい点であるらしい。ジニ係数の最小化を目的とするか、アメリカンドリームを許容するか…勝ち組になれば格差を肯定するが、負け組になれば所得の再分配を要求するというのが人情だろう。

先日の「年収800万円超の給与所得控除減額」というニュースを聞いて、今年の所得ゼロの自分は大賛成に感じた。もし逆に年収1,000万もあるような高額納税者だったら、国外逃亡を考えたくなるはずだ。

ベターな選択をナッジする政策

3~5章は「選択を左右するバイアス」ということで、よく知られた認知的不協和やヒューリスティクス、フレーミング、プライミングといった行動経済学の基本概念が説明される。趣旨としては、「選択というものはそもそも完全な自由意志で行われるものでない。選択肢を増やす・残しておくということはコストもともなう」という感じだ。

ジャムの実験に関連して、米国の401kでファンド数が多すぎると利用者が減るとか、メディケア・パートBという医療保険制度の失敗が説明される。著者は強く主張しないが、政府の制度設計に関しては完全に個人の自由に任せるのではなく、選択肢を絞って健全な方向に国民をナッジするのがベターという印象だ。このあたりは政策提言が趣旨でない社会心理学の本なので、ちょっと歯切れが悪い。

延命中止という重い選択

ここまではわりと普通の教科書的内容なのだが、終盤で障害児の延命治療や自殺の問題が扱われるところがユニークといえる。むしろこういうネガティブな問題に対しての方が、「選択の科学」が必要とされているのかもしれない。それに比べれば、ジャムの味が6種類でも24種類でも、ジャムメーカー以外の人にはたいした問題ではない。

7章は「重病の子どもの延命治療を中断した親へのインタビュー」というヘヴィな内容で、読んでいるだけで涙が出てくる。結論としては、医師が「望ましい選択肢」として延命中止を提示する方が、親の否定的感情や心理的負担を和らげることができたということだ。

いかなる場合でも、人は自分に選択権がある方が好ましいと感じる。ただし人命に関わる「ソフィーの選択」のような場合には、国家や専門家の助言が好ましいということだろう。

自殺という究極の選択

最終講は作家のジェーン・エイケン・ホッジを例として、自殺の問題が議論される。そもそも自殺が選択肢とみなされること自体が、鬱やノイローゼなど精神疾患の可能性もある。しかしホッジのように、終末期医療の現場で明晰かつ論理的に死を選ぶ人も中にはいるだろう。

価値観の問題を扱うには、経済学より文学や哲学の方が適切かもしれない。なので、「生きるか死ぬか」というハムレット的な選択については科学でなく芸術(Art)と呼ばれている。著者は延命治療や自殺の是非については明言していないが、最後にアルベール・カミュの『シジフォスの神話』を引用しているのは興味深い。

個人的には高校生の頃にカミュの小説と同じくらい親しんでいたエッセイで、座右の書に挙げたい一冊だ。新潮文庫から薄い本が出ているが、他から引用されているのは初めて見た。

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

 

本書がカミュの引用で終わる理由

『シジフォスの神話』は、「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである」という問題提起からはじまる。

そもそもこの前提がおかしいという突っ込みはさておき、あくまで論理的に、キルケゴールやフッサールのような飛躍(哲学上の自殺)を経ずして結論を導こうという内容だ。これが論証といえるのかどうかわからないが、結論としては「死なないで生きている方がカッコいい」と言っているように思う。

自殺者の正反対のもの、まさしくそれが死刑囚である…現実の非人間性が人間の偉大さをつくるのだから、そうした現実の力を弱めることは、同時に人間自体の力を弱めることだ。

カミュ、清水徹訳『シジフォスの神話』

小説『異邦人』の解説とも受け取れるが、カミュの作品からは鬱病的な要素よりも、地中海的な朗らかさしか感じない。むしろ同時代のサルトルの方が、黒胆汁質的なメランコリーに彩られて『嘔吐』したくなる印象だ。それなのにカミュの方が交通事故で早死にしてしまったのは、何とも皮肉である。

シーナ・アイエンガーがカミュを引き合いに出して言いたかったのは、「極限状況での最適な選択というのを科学的に導くことはできないが、考え続けることに意味がある」というくらいのことではなかろうか。

大同通長安―究極的には選択に良いも悪いもない、その後の考え方次第でいかようにでも変わるし、どの道を選んでも悟りにつながる。そんな禅問答のようなニュアンスを込めて、Artと名づけているように思った。