リタイアしたら終活ブログを始めよう~入院中もスマホで書ける闘病記

2017年に日本で一番読まれたブログのひとつは、小林麻央さんの闘病日記だろう。歌舞伎俳優、市川海老蔵の妻でフリーキャスターという有名人だが、亡くなる間際まで乳がんの治療に励む壮絶なブログを書いていた。芸能界に疎いので、どういう人だがまったく知らなかったが、そんな自分でもニュースで知ったブログを読んで思わず目頭が熱くなった。

普段は他愛もない日記やアフィリエイトに使われているブログというメディアが、極限状態で活躍した事例だった。「東日本大震災で安否確認や救助にツイッターが役立った」というのは誇張されすぎだが、デマの拡散も含めて注目を浴びたのは間違いない。小林麻央さんの記事を読むと、まさに臨終の闘病日記こそブログのキラーコンテンツではないかと思われてくる。

人生の終わりに備えた後始末―「終活」の一部として、ブログを書くメリットについて考えてみたい。いずれウェブで闘病記を書くつもりがあるなら、なるべく早く執筆環境を構築しておいた方がよいだろう。

これからは「引退したら終活ブログ」というのがブームになりそうな気もする。仕事でタイピングに慣れた世代がリタイアする時代になれば、個人のウェブサイト制作はありふれた趣味の一つになるだろう。自分も「もし明日ぽっくり死んだら、これがエンディングノートになるだろうな」くらいの気持ちでこのブログを書いている。

入院して死について考えた

実は今年、交通事故に遭って一か月ほど入院するという災難に見舞われた。幸い命にかかわるほどのケガではなかったが、その後2回入院して手術を受けた。1年経っても完治せず、まだリハビリを続けている。

入院したのは工業地帯にある救急病院だったので、毎日のように急患が運ばれてきた。外科棟の相部屋は骨折した高齢者が多かったが、工作機械で手指を切断した人もいて壮絶な光景だった。ときどき病院内で緊急事態を知らせる「コードブルー」のアナウンスもあった。

入院中は検温やリハビリで意外と忙しく、毎日代わり映えのしない環境にいると脳の活動も緩くなっていくのか、あっという間に時間が過ぎて行った。それでも夜9時の早い消灯時間で眠れないときなどは、「自分もいずれ死ぬ」ということについて考えさせられた。

もし自分が癌にかかって余命が少ないとしたら、何をするだろう。『象の背中』という映画は、昔の友人や初恋の女性に会いに行くようなストーリーだったが、そんな迷惑なことはやらなそうな気がする。そのときになってみなければわからないが、確実にいえるのは「ブログで闘病日記を書く」ということだ。

寝ていてもブログは書ける

もし体が動いてスマホをいじれるなら、何もしないでボーっとしているよりは、暇つぶしにでもブログに投稿してみるだろう。小林麻央さんのブログのように、同じような境遇に陥った人たちに何か有益な情報を提供できるかもしれない。いや、治療に有益なことは何一つ伝えられなかったとしても、闘病の過程や死に際にどんな心境になるかという体験談は報告できるはずだ。

入院中、松葉杖で歩くのは不便だったが、手や頭は動くので本を読んだりして退屈しなかった。最初はノートPCを使っていたが、2回目の入院ではスマホを使ったブログの記事投稿も試してみた。さすがにスマホで文字を打ち込むのは疲れるので、Bluetoothの外付けキーボードもつなげてみた。これはベッドの上では不安定で、いまいちだった。スマホは画面も小さく長文を打ちこむのはつらいので、起き上がれるなら素直にクラムシェル型のノートPCを使った方が便利だ。

古い病院なのでWiFiはなく自前のスマホでテザリングしたが、最近できた施設なら通信環境は完備されているかもしれない。いきなり入院することになっても、ネット環境を借りられればブログを執筆できるように、普段からノマドワーキングに慣れておこうと思った。適当なデバイスと電源、WiFiさえあれば、調べ物ができて自己表現も可能なインターネットというメディアはすばらしい。

退職すると臨終について考える

世間一般の水準よりはだいぶ早く仕事をリタイアしたおかげで、老後の生活というものをシミュレーションできている。現役時代に比べれば、好きなだけ眠れて毎日遊べるという圧倒的な自由。もちろん蓄えた貯金以上の贅沢はできないが、義務や締め切りが一切ない生活というのはパラダイスだ。

一方で、「このまま人類に何も貢献しないまま朽ち果ててよいのか?」と殊勝なことも考えるようになった。「何か人の役に立ちたい」と思うのは、社会的存在としての人間の本能なのだろう。別にすごい発明をするとかビジネスで成功しなくても、身近な家族や隣人に親切して喜んでもらえるだけでうれしいものだ。

そういうささやかな貢献とやりがいをもたらしてくれるブログは、老後の趣味としておすすめできる。アフィリエイトで稼げるという実利もあるのだが、それ以上に「老いさらばえた自分でも人の役に立てる」と生活に張りをもたらしてくれる利点がある。たとえ仕事以外に趣味や取り柄がなかったとしても、凡庸な日記ですらブログで公開すれば誰かの目に留まるかもしれない。

道元禅師の言葉に、「志のある人は自分が死ぬということを知っている。しかし志のない人は自分がいつか死ぬという自覚がない」というものがある。正直、今になっても真剣に死ぬことについて自覚を持てたかどうかというと怪しい。禅僧にはかなわないが、凡俗な自分でも少しは「志」の片鱗が芽生えてきたという程度だ。

「人はいずれ死ぬ」という唯一の真理

哲学上の最も重要な真理は「人はいずれ死ぬ」ということだと思う。2番目は「権力は必ず腐敗する」、3番目は冗談だが「長期スパンで米国株は値上がりを続ける」ということかもしれない。最初の真理以外は人それぞれだが、やはりいくら寿命が延びても、いずれ自分が死ぬという事実だけは変わりそうにない。

「今、自分が生きている世界とは何なのか?」「もし存在に目的や意味があるとすれば何なのか?」そういう問いに答えは出ないまま、交通事故や病気であっけなく死んでしまうのだろう。いずれ死ぬという事実の前では、老いも若きも関係ない。裕福な方が平均寿命は伸びるという統計データはあるが、いずれ訪れる死は免れられない。

特定の信仰は持っていないし、死後の世界も信じない。自分がいなくなったあとの世界はどうでもいい。洋の東西を問わず老子や吉田兼好、マルクス・アウレリウスが述べているように、子孫の繁栄や名声というものに興味はない。

免許証にも保険証にも臓器提供の意思表示をしてあるので、せめて死体になってからでも世の中の役に立てればよいと思っている。本当は白洲二郎のように「葬式不要、戒名無用」と行きたいところだが、世間体もあると思うので最低限の葬儀で済ませるように、家族には伝えてある。墓もいらないが、必要なら安い共同墓でよい。

ROM人格構造物

日記的な内容から一歩進んで、もし仕事に役立つノウハウや情報を提供できるとしたら、それはさらにうれしいことだ。自分がこの世界から消えても、思考の痕跡を残したブログが後世に役立つと想像するのは、死後の世界を信じない無神論者もちょっと興味をそそられる。

あるいはもっと極端に、個人の人格をコピーした人工知能が出現すると想像することもできる。SF小説のネタだが、ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』に伝説のハッカー、ディクシー・フラットラインのROM人格構造物というものが出てくる。
本人はすでに死んで、その思考パターンを模倣したプログラムが残されている。サイバースペース内では、それが人間そのものように振る舞っている。あくまで仮想世界での話だが、主人公のハッキングを往時のテクニックでサポートしたりもできるのだ。

後の『ブレードランナー』や『攻殻機動隊』でも、「人間と機械の違い」とうい似たようなテーマが扱われて、SFの定番ネタになった感がある。このままAIが進歩したら、いずれ客観的には人間と見分けがつかないような仮想人格が出現するかもしれない。『her』の映画を観ると、たとえ音声だけでもAIがパートナーになる未来というのはそう遠くなさそうだ。

ブログは死後の代理人格

ブログというものもある意味、「テキストベースのROM人格構造物」なのではないかと思う。今のところスタティックなHTMLで動的なインタラクションはないが、いずれブログ内のナレッジをベースに、質問に回答してくれるようなプログラムが開発されるかもしれない。おそらくそこに自分の意識はないが、客観的にはまさに自分のコピーロボットとして死後も働き続けてくれるだろう。

バーチャル(virtual)という英単語には、日本語に訳される「仮想的」という用法以外に、「実際上の、実質的な」というnature(本質)に近いような意味がある。通信回線の向こうの相手から見て、機械か人間か見分けがつかないようなチューリングテストをパスした場合、ROM人格構造物は(バーチャルには)人そのものとみなされる。

ウィリアム・ギブスンの小説では、複数のAIがコミュニケーションして相互に進化するフィクションが描かれている。『攻殻機動隊』で人形遣いと融合した草薙素子のようなものだろう。一方で、ROMに焼かれたに過ぎない人格は、ハッキングに役立つウイルスと同じ、ツールのひとつでしかない。ブログが勝手にAI化するというのは難しそうだが、投稿された記事の内容を解析して、チャットボットくらいに機能する疑似人格アプリは作れそうな気がする。

無料ブログは残る可能性は高い

「死後も残るブログ」という意味では、既成のブログサービスを利用した方が無難だろう。現実的には、すでに死んだ自分以外にサーバーのアカウントやパスワードを知る人もなく「完全に放置された状態」を想定する必要がある。もし自分でサーバーを借りて独自ドメインでブログを運用しているとしたら、いずれ契約期間が切れてサイトにつながらないか、最悪データを消される恐れもある。

一方、無料のブログサービスなら、たとえ有料会員で支払いが滞ったとしても、運営会社の広告が表示された状態で生きながらえるはずだ。どちらの場合でも、管理会社が倒産するという恐れはある。しかし大手のブログサービスなら、運営会社が変わっても、何らかの形でデータベースは引き継がれていくだろう。

「無料のブログサービスでは突然公開停止されるリスクがある」といわれるが、それは記事の内容がまずかった場合にBANされるという話。今後はてなブログやアメブロが突然終了して「何万人ものブログが一瞬で消えてしまう」という事態は想像しにくい。たとえYahoo!がメルカリに買収されて、Yahoo!ブログがメルカリブログになったとしても、貴重な資産であるユーザー会員と記事コンテンツが無下に打ち捨てられることはないだろう。

そのうち、追加料金を払えばブログを永代供養するようなサービスも出てくるのではなかろうか。数千万円かけて遺体を冷凍保存するコールドスリープやクライオニクスのサービスを申し込むよりは、ドメイン・サーバーの永久利用権の方が安く済みそうに思う。

ブログサービスの比較

無料のブログサービスの中でどれがおすすめかというのは、比較分析しているサイトがいろいろある。物理的なスペック以外に「どういう人たちが利用しているのか」というコミュニティーの性格も選択の基準になる。大手各社の特徴をまとめると、個人的には以下のようなイメージだ。

  • アメーバブログ
    芸能人や主婦のユーザーが多い。小林麻央さんが利用していたのも宣伝になったのか、「入院・闘病生活」という公式ジャンルまである。
  • はてなブログ
    はてなダイアリー時代からのプログラマーやエンジニアの利用者が多い。最近、勝間和代のブログもここに引っ越した。
  • ライブドアブログ
    まとめサイトが多いが、イケダハヤトのような業界の有名人も利用している。ライブドアがNHNに買収されて今はLINEが運営している。
  • FC2ブログ
    2ちゃんねるっぽい。あまりよく知らない。

基本的に上記のサービスなら、使い勝手や信頼性はそう変わらないと思う。車と同じでトヨタでも日産でもマツダでも、今どき国産車ならどこを選んでも品質に間違いはないという状況だ。

いろいろ検討して、自分は「はてなブログ」とWordPressを併用するスタイルに落ち着いた。かつてウェブ業界に携わっていた人間として、複数社のサービスを比較してみたいという動機もある。はてなの方はプロ版を契約して独自ドメインで運用しているので、何か気に入らないサービス改悪でもあれば、自前のサーバーに移行できる体制は整えてある。

はてなブログを勧める理由

自分にとって「はてなブログ」がよかったのは、昔から同社のサービスを利用していて安心感があったからだ。シンプルなデザインを実現できそうなテンプレートも揃っていた。サービスのトップページを見ればわかるように、はてなは他サービスより広告が少なく、ごちゃごちゃしたイメージがない。

雰囲気としては、ドン・キホーテより無印良品で買物するような感じだ。いまだにテキストベースで長文を投稿する年季の入ったユーザーが多いのも、はてながすっきりとして見える理由かもしれない。シンボルマークが万年筆のペン先なのも、そのためだろう。

プロ版にアップグレードすれば、余計な広告やキーワードに付く下線を排除できるので、さらにカスタマイズの自由度は上がる。ユーザー間の交流が盛んで、はてなスター以外に結構コメントをもらえたりするが、自分にとってはどちらでもいい機能だ。誹謗中傷の類は少ないが、一応承認しないと公開されない設定にできる。丁寧にコメントいただいても、恐縮して返答をつくるのに時間がかかってしまうので、悩ましく感じることもある。

後で調べて、はてなブログのコメント機能をオフにできると知った。WordPressの方はもともとコメント機能を消している。試しに一度WordPressでコメント受け入れしてみたら、世界中からスパムコメントが届きまくってひどい状況だった。はてなブログにはスパムを弾く優れた機能があるのだろう。コミュニティーの質も、他サービスよりはうまく維持できているように見える。

オレンジジュースと遠藤周作

小林麻央さんが亡くなる前、6月20日の最後の投稿は「オレンジジュースがおいしい」という記事だった。その後、全国的なニュースになったので、大韓航空のナッツ・リターン事件のようにオレンジジュースの売上が増えたのではなかろうか。

あの記事を読んで、遠藤周作の『悲しみの歌』という小説を思い出した。米軍捕虜の生体解剖実験で有名な『海と毒薬』の続編で、主人公だった勝呂医師が堕胎専門の闇医者になっている話だ。患者の安楽死に手を染めた呵責と新聞記者の追求から、結局自分も命を絶ってしまうという暗いストーリーである。前作からの経緯を考えると、ナベさんを死なせる場面から勝呂の自殺シーンまで涙を流さずにはいられない。

悲しみの歌 (新潮文庫)

悲しみの歌 (新潮文庫)

 

作中でガストンというイエスの化身のようフランス人青年が出てきて狂言回しを務める。最後に新宿駅の前で、ガストンが不幸な女性にオレンジジュースを振る舞ってなぐさめるというエピソードがある。これを読んで以来、自分の中ではジュースといえばオレンジ味が定番になってしまった。落ち込んだ時には、少し酸味があって口の中を爽やかにしてくれるオレンジジュースでリフレッシュすることにしている。

もちろん小林さんはそんなことまで意図して最後の記事を書いたわけではない。しかし、何気ない文章が世界のどこかで誰かの心の琴線に触れる可能性はある。普通の仕事では現役時代のように働けなくても、ブログを細々と書いていれば何かの役に立つこともあるかもしれない。